言葉と責任

若い頃は意識的にエッセイ集を読んだ。
作者の本音を読み取り易いこと、自分とは異なる視点で物事を捉えていることが私には魅力的だつたから。
それは今も同じで、好みの文章は何度も読み返す。
特に好きなのは「贋食物誌」、吉行淳之介氏のエッセイ集である。
必ずしも食べ物の話を書いている訳ではないが、文章そのものに魅力があり、飽きることなく幾度となく読み返した。
あまりに好き過ぎて、遂には電子書籍を購入した。
近々改めて読み直す予定だ。
さて、最近は個人ブログの中にも相当数のアクセスがあるものが増えている。
中にはそれで生計を立てている人もいるから、感心する。
決して文章力だけで維持出来るものではなく、良い意味で好奇心旺盛な人がコンスタントに記事をアップ出来るのだろう。
私には到底真似出来ない。
然し、アクセス数に比例して「空気を読まない」コメントも増えてくる。
信者だらけのコメント欄(実際に存在する)も気味が悪いが、明らかに揚げ足取りと思われるコメントが投下され、その言動を読み流せずに反論する状況もまた、気持ちの良いものではない。
たかが個人ブログである。
専門家が専門知識を記した文章ならまだしも、一個人の生活の一部を切り取った文章(当然、過去形)に対してああだこうだと言ったところで何も変わらないじゃないか。
私を含め、多くの読者はそう思っている筈だが、残念ながらそうじゃない人が存在するらしい。
で、コメント欄が荒れる。
思ったことを吐き出さずにはいられないのだろう。
その癖、自身の言動を否定されると「そういう意図はない」と言い訳する。
言い訳するぐらいなら黙れば良いのに。
心の中で突っ込む私もまた、無責任な読者の一人である。